2022年08月05日

ウィシュマさん名古屋入管死亡事件

2021年3月6日、名古屋入管に収容されていたスリランカ出身のウィシュマさんが死亡しました。この事件の代理人をしています。

この訴訟の訴状の冒頭で、次の主張をしました。

「1 『人間に生まれてきて、よかったです。動物よりも、私たち人間は深く考えることができるから、許すこと、助けることができるのです。…すてきな人生のために私たちは長い道を一緒に行かなければなりません。』
この言葉は、2021年1月10日に、ウィシュマさんが友人に書き送った手紙の一節である。
2 人間に生まれてきて良かったと述べ、人間として素敵な長い人生を過ごすことを願っていたウィシュマさんは、その直後の同年3月6日に、名古屋入管の収容施設において死亡した。わずか33年余りの人生に終止符を打たれたのである。
3 何故、ウィシュマさんは、死ななければならなかったのか。
4 この点、出入国在留管理庁は、同年8月10日に最終調査報告書を公表し、本件を名古屋入管の対応の問題に矮小化した上で、詳細な死因すら明らかにせず、死亡に至る具体的な経過(機序)を特定することは困難であるとして、本件の幕引きを図ろうとしている。
5 本件事件の背景には、全件収容を当然の前提とし、収容という身体拘束を、自主的な帰国に追い込むための手段として利用する実務がある。入管は、退去強制に追い込むため、裁量で、長期間にわたって収容を継続し、かつ、仮放免を行わない実務の運用を行っている。
また、入管の収容施設における脆弱な医療体制がある。
加えて、本件事件が起きた背景には、在留資格を有しない外国人を、人とも思わない、非人道的な国の組織的な意識があると言うべきである。
6 ウィシュマさんは、我々と同じ、人間である。
このことを言葉で的確に伝えることは困難であるが、ウィシュマさんと妹2人の3人が、仲良く写っている写真などを見れば、我々と同じ、人間であることが、言葉よりも実感できるはずである。
ウィシュマさんを現場で見ていた入管の職員は、写真ではなく、現実の人間であるウィシュマさんと、日常的に接していた。写真とは比較にならないほど、ウィシュマさんが、同じ人間であると実感する機会があったはずである。
入管の職員が、ウィシュマさんに対し、自分の家族に接するのと同様の心情で接していれば、ウィシュマさんが死亡に至るようなことは決してなかった。
もちろん、個々の入管職員は、人を人として扱う心を持っているはずである。ところが、入管の収容施設という特殊な環境で職務を担当していると、職員は、被収容者を人として扱うことが困難となってしまう。
問題の本質は、国、入管という組織自体の被収容者を人として扱わない非人道的な集合的意識(組織文化)にある。
7 ウィシュマさんの死を意味あるものにし、これ以上同じような犠牲者を出さないためにも、本件の事実が、包み隠さず明らかにされ、本件が生じた本当の意味での背景が明らかにされなければならない。」

https://www.call4.jp/file/pdf/202203/3aa78c6c30716f66441fccfb24391dcd.pdf

この訴訟の経過は、ウェブで公開されている。
https://www.call4.jp/info.php?type=items&id=I0000094#case_tab

多くの市民がこの事件に関心を持ち、社会が良い方向に変わることを願う。
(弁)
posted by NBP at 20:29| 日記